国境の長い峠を上ると塩狩であった。停車場に汽車が止まった。
ぼくは、その峠にある小さな〈塩狩駅〉に降りた。周りに人家はほとんどなく、一帯は桜の名所になっている。
いまは葉ザクラだが、毎年五月中旬ころになるとエゾヤマザクラが咲きほこり〈塩狩峠一目千本桜〉として人気があるそうだ。
線路のわきに「塩狩峠」の標識がある。この峠は天塩国と石狩国の国境にある標高二七四メートルの峠だが、その昔、ある悲しい出来事があった。
明治四十二年二月、この峠を上っていた汽車の最後尾の連結が突然外れ、客車の一両が坂を下りはじめた。乗客の長野政雄氏(旧国鉄職員)は、とっさに手動ブレーキをまわした。ところが、急カーブで彼は線路に転落、彼を轢いた客車はようやく止まり、乗客は無事だったのだ。この長野氏をモデルにしたのが、三浦綾子さんの小説『塩狩峠』である。
駅裏の小高い丘の中腹に〈塩狩峠記念館〉がある。坂を上って行くと、木立の中に赤い屋根の家があらわれた。
建物は昭和三十六年に、三浦光世・綾子夫妻が旭川の豊岡で営んでいた雑貨店「三浦商店」を復元したもので、しようゆやソースのホーロー看板がついていて、なんとも昔なつかしい店構えだ。
こぢんまりとした店内には、子どものころたべたことのあるようなお菓子やキャラメルが入った菓子ケース、ノートや鉛筆を並べた文具棚などなつかしい物がいろいろ置かれている。「いらっしゃい……」と奥のほうから三浦さんが出てきそうな気がした(ちなみにぼくの実家も似たような感じの店だった)。
店の奥が住居になっていて、当時使われていた家具や生活用品などが置かれ、彼女の誕生から結婚までの資料が展示してある。二階は『塩狩峠』の部屋、『氷点』執筆の部屋と二間あり、やはり当時の雰囲気のままに家具が置かれ、それぞれの小説に関する資料が展示されていた。まるで昭和三十年代の生活に戻ったようで、うれしくなってくる。
口述筆記の体験コーナーで、三浦さんの話す言葉を原稿用紙に書きとめてみたが漢字を覚えていないせいか途中でつまってしまった。
記念館横の遊歩道は〈歌碑の森〉まで続いている、木立の中をてくてく歩くのはなかなかいいものだ。野鳥がピッピーと鳴いているが、バードウォッチング初心者のぼくは双眼鏡で探してもなかなか見つけられない。
旧国道を横切り、南丘森林公園に続く道を行き、しばらく千桜橋の上でたたずんで、こんもりした森を眺めていた。
駅から歩いて五分もかからないところにある〈塩狩温泉〉を訪ねた。
この温泉は大正十年、放牧されていた牛が泉源の溜水を飲んでいたため発見されたという、歴史ある温泉だ。体をゆっくりとお湯に沈めた。薄緑色に濁った緑ばんとラジウムのくすり湯は、肌が少しぬるっとする。
小さなライオンの口からお湯が流れ出ているが、これは温泉を見つけた牛の顔のほうがいいかも……と、思いながら旅の疲れをお湯に流した。
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