ぼくは子どものころ、それを”ケチャップごはん”と呼んでいた。
ラグビーボールを半分にした形のトマト色のごはん ”チキンライス” は、ライスカレーよりも本当の洋食!と思っていた。
ぽくのふるさと夕張の滝見通りにある(まねき食堂)で懐かしいチキンライスをたべた。
もともと、まねき食堂はおもち屋さんで、今でも大きな看板には”夕張名物美人もち”と堂々と書いてある。
「たぶん”もち肌美人”から名前をつけたんでしょうね、おやじは。もち一筋でずっとやってたんだけど、昭和二十四年五月に、この本町一帯が大火になって、町中ベロリ焼けてしまって……もちろんうちもだけど」
もと国鉄マンのご主人、笹崎健さんが調理場からやって来て話してくれた。
そういえば、ぼくが赤ん坊だったころの大火で、避難するときに、ぽくを知らない人に預けたらしく、あとから「俊博がいない!」と大騒ぎになったと、親父が言っていたことがあった。
その大火を境に笹崎さんは食堂もはじめたそうだ。
「わしは料理なんかそれまで作ったこともないから、<天金食堂>、ほれ知ってるっしょ。歌手の大橋純子さんのお父さん!その大橋さんに習ってね。店名の<まねき>というのもつけてもらったんだヨ」。ちなみに彼女はぽくの高校の後輩。卒業アルバムの卓球部の写真に純子さんが写っているのだ (ちょっといい気持ち……)。
はじめたころのメニューは大福もち、しる
こ、雑煮などで、どんぶり物を少しずつ増や していき、いまではカレーライスやラーメン
もある。とにもかくにも、チキンライスを作ってもらった。
チキンライスができあがるまで、美人もちの大福をたべてみた。ポテッとした大福はず
しりと重く、なんとなく美人の柔肌のような
気がする。やわらかなもちをパクリッ。その
感触といい、甘すぎないあんこといいなかな かうまい。お茶を飲みながら、もう二、三個はいけそうだ。
毎日、少ししか作らないので昼すぎにはなくなるらしい。ついおみやげ用にと数個を包んでもらった (これでひと安心)。
「純子なんか、おやじさんに叱られたりするとうちの店にやって来て、よく遊んでいったよ。わしもカラオケで『シンプルラヴ』くらいは歌えるよ」と、ニコニコしていた。
|