時計台の愛称で全国に知られている札幌市時計台は、明治11年に札幌農学校演武場として建設されました。札幌農学校は、近代技術を導入し北海道開拓の指導者を養成するという目的から開設されました。当時、演武場は農学校生徒の兵式訓練や心身を鍛える体育の授業の場として使われていました。 |
|
『札幌時計台』
|
この建物が完成した時は時計は設置されておらず小さな鐘楼のみでしたが、開拓長官黒田清隆の発案で時計の設置が決まりました。3面の文字盤を持つ時計機械は5層構造になっており、大変大きなものだったので大幅な改修工事が行われ今の時計台と同じ姿になりました。明治14年始動以来、1世紀以上のあいだ休まず時を刻み続けているのです。明治時代の姿のままで動いている時計は世界でも数台しか残されていないといわれています。毎時間鳴り響く鐘の音は今も札幌市民の心に安らぎを与えています。 |
現在、時計台は札幌市のシンボルとなり、観光スポットとして人気を集めています。平成7年から10年にわたる改修工事が終了し、資料館として整備された時計台は、今では音楽会や結婚式などの場としても活用されています。天井は木造の合掌構造が見られ、レトロな木製椅子が並んでいる様子は明治時代にタイムスリップしたかのような気分にさせます。 |
豊平館は明治13年に開拓使の洋式ホテルとして造られました。明治天皇行幸の時宿泊所としても使われたものです。北1条西1丁目に建てられた豊平館が現在の場所、中島公園内に移設されたのは昭和33年「北海道博覧会」が行われた年のことです。今では本格フレンチが楽しめるレストランが設けられ、結婚式場やパーティー会場として親しまれています。館内の各部屋は、豪華なシャンデリアやゴージャスなカーテンで飾られ、引きつめられた赤い絨毯や漆喰の暖炉などがモダンな雰囲気を醸し出しています。様々なシーンをバックに記念写真が撮れる写真館としても利用できます。 |
|
『豊平館』
|
明治初期、貴賓の接待所として明治13年に造られたのがこの清華亭です。明治天皇北海道行幸の際、休憩所として使われました。和洋折衷の建築様式は当時としては斬新なものであり、特に洋室の出窓は本道初期洋風建築物では珍しい例です。随所に天皇が休まれる場所としてふさわしい風格を兼ね備えています。 |
|
『清華亭』
|
|