■地方記者日記150
代表的肩書 |
by大谷地恋太郎 |
ある地方選挙の取材準備をしていた時だ。ある候補者の代表的職業を記入する欄に、本人が「小説家」と書いてきた。小説家と言っても、いろいろな分野にいろいろな人物がいるわけで、問題はないのだが、気になったのは、これが自称だったためだ。本人に「代表的な作品を挙げてください」と質問しても、まともな答えがなく、しかも「来年出します」というだけで、「小説家」を自称しているだけだと判断し、別の肩書を使うよう内部で検討することになった。本人がそう名乗っても、実際の小説家の活動をしていなければ、新聞社としては使えない。第一、選挙民をだますことになる。
肩書というのは、選挙に限らず、扱いに難しい。取材した相手が、肩書をそう名乗っていても、こちらが「?」と首をかしげるような表現が時折あり、どう扱うか悩む。
本人がそのように自称していても、世間一般で通用するものは少ない場合が多いのだ。小説家を自称しても、同人雑誌に単文を何本か書いているだけでは小説家と認めてくれる人はいないだろう。
ちょっと以前は「フリーライター」なんて肩書が流行した時期がある。
これなんかもそうだが、雑誌に何回か雑文を書いて、原稿料をもらっていて、その気になっているが、実際はそんなわずかな原稿料で生活は出来ない。原稿料は相場にして、400字詰め原稿用紙にして、一枚1000円から1万円、1万5000円、2万円ほどの幅があるが、これだって、月に何本書いても、とても生活ができるような金額ではない。主婦に多かった。亭主の稼ぎで生活しているのに、これを見栄で「フリーライター」とか「フリージャーナリスト」と称しても、世間では通用しないのだ。
それは、自称「ジャーナリスト」と言う人にも当てはまる。
「科学ジャーナリスト」「医療ジャーナリスト」「スポーツジャーナリスト」「サッカージャーナリスト」「鉄道ジャーナリスト」「ウェブジャーナリスト」「軍事ジャーナリスト」「政治ジャーナリスト」「放送ジャーナリスト」
よくもまあ、こういう肩書を自称している人が多いのだろう。
確かに最近ではJリーグの人気の高まりで、サッカージャーナリストというのはわかりやすい。サッカーの専門誌が雨後のタケノコのごとく発刊ラッシュし、その雑誌に投稿しているから、サッカージャーナリストなんだろうけど。
では質問するが、ジャーナリストって何なんだ。
格好良く表現するが、ジャーナリストというのは、ジャーナリズムに従事する人間のことだろう。ジャーナリズムというのは、ある意味で精神論でもあろう。つまり反権力、民主主義、反権威、民衆、戦争反対、反ファシズム、憲法擁護等々。こういう精神論の中で職業を実践するのが、ジャーナリストということになる。ちょっと青臭いが、そういう意識で僕ら新聞記者は仕事をしている。
だから笑ってしまうのだ。サッカージャーナリストって何なのさ。スポーツジャーナリストって何なんだ。政治ジャーナリストって何様なのさ。
だから僕らは絶対に、ジャーナリストとは名乗らない。新聞ジャーナリストとも言わない。恥ずかしくてジャーナリストと自称したことは一度もない。精神論だと思っているから、恥ずかしくて自称したことはない。それが職業としてみたジャーナリストだと思っているのだ。
ここまでジャーナリストという言葉が氾濫するのは、日本のジャーナリズムが成熟していない現状をさらけ出したということなのだろう。ぷー太郎のまま、職業的な訓練を受けずに、わずかな原稿料でライターを使ってきた雑誌社、出版社の責任が大きい。使い捨ての時代が拡大しているのだろう。
話を最初に戻そう。自称小説家で選挙戦に出るというのは、有権者をだますことになる。小説家と名乗る以上、ある程度の作品を書いて、たとえそれが芥川賞や直木賞を獲得していなくても、十分に読書に耐える作品を出していることが条件になる。それが代表的職業だし、肩書でもあるのだ。
職業を安易に表現するのもいいが、選挙戦では新聞社はそう簡単に受け入れることはしていない。それが報道という職業でもあるのだ。
そうだなあ。一度でいいから、「温泉ジャーナリスト」と名乗って見たいなあ。温泉批判でもするのかな。
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(続き)
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