大谷地恋太郎の地方記者日記

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作者紹介
ペンネーム:大谷地恋太郎
日本各地を転々とする覆面記者。
取材中に遭遇した出来事や感じた事を時に優しく、時に厳しくご紹介します。

(以下は大谷地氏とは関係ありません)

粟屋 貞一(1844-1914)
開拓指導者。山口県萩生まれ。毛利藩台所頭役を経た後、毛利家北海道開墾地委員長として北海道に渡り、余市川上流を開墾。山口県移民入植の橋渡しをした。

■地方記者日記その10
 変な習慣
by大谷地恋太郎

 プロ野球パ・リーグの日本ハムファイターズが本拠地を札幌に移し、北海道元年の昨年(2004年)は大健闘し、ファンを引きつけたことは記憶に新しい。
 プロ野球球団が初めて北海道に移転したことで、戸惑ったのは、我々新聞記者も同じだった。
 何しろ、どう取材していいのか分からなかった。
 何しろプロ野球を担当することなんか、北海道在住の記者にとって初めての経験だ。ノウハウもなく、みんながみんな戸惑っていた。
 最初の驚きは、選手が全くしゃべってくれないことだ。
 沖縄キャンプの時は、それを痛感した。
 名護市のホテルから、近くの球場まで、選手は歩いて練習に通うのだが、そのわずか数分の距離を、マスコミの記者が取り囲む。多少、質問をしても、一切しゃべってくれない。親しい記者だけには、冗談もいうが、多くの選手は無口のままだ。例外は岩本投手ぐらいだ。新庄も小笠原も、だんまりを決め込んだように、無口のまま移動する。それを取り囲んだマスコミの記者やテレビクルーが、同じく移動する。
 これが、サッカーJ2のコンサドーレ札幌の選手だったら、それなりに話すし、前向きだ。
 何かしら話してくれれば、記事には出来るが、何にも話さないので、記事にならない。こんなことを毎日のように繰り返していた。
 そして次に驚いたのは、記者会見となると、よくしゃべるのだ。テレビを意識して、悪い映りがないように、前向きに、スター選手らしく話す。
 へーっ、立派なことをいうなあ、と感心したこともあるぐらい。
 だから、無口な日々の行動と、インタビューの際の饒舌なしゃべりの落差には、驚いてしまっている。
 さらに驚くのは、個別のインタビューにカネがかかるということだった。
 プロ野球担当のスポーツ記者にしてみれば当然のことらしいが、日々、スポーツとは関係ない取材をしていると、カネのかかるインタビューこそ、不思議な思いがした。
 NHKなんか、たっぷりとカネを用意して、沖縄キャンプの取材をしていたし、謝礼のほかにも物品を用意して、それこそ選手をインタビューしていた。「みなさまのNHK」ってこんなにカネがあるんだ、と呆れたものだった。
 インタビューというのは確かに、相手に時間をとってもらい、取材をするのだから、謝礼は当然というかもしれない。しかし、こうもまあ、カネ次第みたいな習慣が横行している事実に、私のような地方在住の記者は驚きを隠せないのだった。
 もっと驚いたのは、試合が終わって、選手にまともな取材が出来ないことだった。
 途中交代した選手は、試合終了時にはすでに球場にはおらず、帰ってしまっていることが多かった。だから、選手のコメントの多くが、広報を通じて出したもの。肉声ではないのだ。
 翌日のスポーツ新聞や一般紙のスポーツ面に、選手のコメントが載っているが、実は直接取材して書いたものではない。
 カネといい、コメントといい、こんな習慣、サッカーJリーグにはないぞ。
 試合が終われば、インタビューは自由に出来たし。
 プロ野球が廃れて、サッカーが人気を奪うのも、何となく分かるような気がする。変な習慣はなくした方がいい。

(続く)



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