大谷地恋太郎の地方記者日記

バックナンバー

作者紹介
ペンネーム:大谷地恋太郎
日本各地を転々とする覆面記者。
取材中に遭遇した出来事や感じた事を時に優しく、時に厳しくご紹介します。

(以下は大谷地氏とは関係ありません)

白土誠太郎(1890-1962)
茨城県生まれ。1915年(大正4)函館に移住。海産物商を営んでいたが1925年(大正14)頃に幼少から得意であった将棋の道場「白土道場」を開設、以来数多くの棋士を輩出する。日本将棋連盟の正会員ではなかったが、1950年(昭和25)に連盟から「地方有力棋士」として異例の6段を贈与される。1960年(昭和35年)には7段に昇段。将棋の普及ならびに発展に貢献し、北海道を将棋王国とする礎を築いた。

■地方記者日記137
 外人監督
by大谷地恋太郎

 プロ野球、北海道日本ハムファイターズのヒルマン監督が今季限りで退団することになった。シーズン途中のこの時期に、異例の発表。しかも、成績不振による休養ではなく、プライバシーの問題としているから、プロ野球監督の進退問題としては、珍しい話になっている。
 ヒルマン監督は、日本ハムファイターズを昨年優勝に導いた貢献者だろう。個人の成績ばかりを気にする選手が多い中で、情に流されることなく選手の起用をしてきた。エースの金村投手が二けた勝利を挙げられなくなり、監督批判をした時も、報復人事も報復起用もなかった。ヒルマン監督を招聘したフロントは、それなりの作戦勝ちだった。
 これがサッカーだと、ひどい仕打ちが待っている。
 Jリーグチームで外国人監督が多くなったが、選手がプレーに失敗すると、その選手を全く起用しなかったりする。その監督が長く監督の座にいたりすると、その選手は一年を棒にする。選手生命は短くなる。
 雇われ監督ゆえ、選手のその後の生活や将来など考える必要もないから、かなりドライになって選手起用をする。
 この点、ヒルマン監督は、外国人監督にはない、日本的な経営センスを持っているのだろう。選手のだれ一人、起用に不満を持たせたことはないのだから。
 今年は、ダルビッシュ投手や森本外野手らの成長で、小笠原内野手、新庄外野手の抜けた穴を補って、優勝戦線にとどまっているが、それもヒルマン監督の経営手腕によるところが大きい。
 ヒルマン監督は、一方で、日本ハムファイターズが北海道に移転したことを十分に認識していて、地域に溶け込む努力を自らしていた。JR北海道で一日駅長になったり、ファンサービスでギターを弾いたり。日本プロ野球の監督で、こうした努力をしていた人物を、私はあまり知らない。巨人の監督なんか、マスコミの取材に対して、「おまえら、邪魔だ、どけ」と怒鳴る人間が、何人もいた。テレビでは知ることの出来ない態度を直接見てしまうと、巨人ファンであった自分が恥ずかしくなるほどだった。それだけ、巨人はひどいチームだ。こんな、裏があるような人間では、ヒルマン監督はなかった。
 で、となると、次期監督はだれになるのか。
 日本ハムファイターズ出身者で、指導者として活躍できるような人物は、と捜してみると、意外や、いないのだ。
 古くは、大沢、張本らがいるが、とっくに現場からは離れている。
 大島は一度監督になったが、成功したとはいえない。
 高田も、いまいちだった。
 そうなのだ。日本ハムファイターズって、かなり地味なチームゆえに、監督もかなり地味なイメージを持たれている。
 かと言って、スターを持ってくる必要はないだろう。
 日本のプロ野球の多くは、巨人に代表されるように、選手として活躍したスターを監督の座に据えようとする風潮が強い。王、長島、堀内、原ら、みんなそうだ。ヘタすると、いつかは江川監督という、笑うに笑えない将来だって予想される。
 しかし、多くは失敗している。長島しかり、王しかり。
 スター選手、イコール、優秀な監督、とはならないのだ。
 このことに気づかないで、監督を選ぼうとしている。それがフロントには分かっていないのだ。
 だから、日本ハムファイターズはこの同じ轍を踏まないでほしいのだ。
 えっ、だったら、新庄監督の誕生かって。
 結構、楽しいかも。

(続き)



| 全道マップ | 会員規約 | 免責と注意事項 | 著作権とリンク | 広告募集 | お問合せフォーム | ホームページ製作|
Copyright(C) 2002 Hokkaido-club.com All rights reserved.